死後に届いた夫へ川島なおみのお別れプレゼント

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死後に届いた夫へ川島なおみのお別れプレゼント
友人らが女房から預かったプレゼントが・・・
僕の誕生日は10月。女房が亡くなったのは
9月だったので、最後の年は、
川島なお美さんから「こんな体調だからごめんね」と
言われていました。
しかし彼女は病室から友人たちに電話をかけ、
僕の誕生会の段取りをしてくれていたのです。
知ったのは、女房の死後でした。


https://m.facebook.com/ChatNior

川島なお美さんが2015年9月、54歳で亡くなり、
1年半が過ぎましたが亡くなる1週間前まで舞台に立ち、
胆管がんに侵されながら女優であり続けようとした
彼女を夫でパティシエの鎧塚俊彦さんは、
妻の決断を尊重し、闘病を支えました。
余命は尋ねず
14年7月、女房のがんが再発し、
余命1年と宣告されました。
余命宣告を受けたのは鎧塚俊彦だけでしたが
必死で生きようとする川島なお美さんは、
医師に尋ねようとはしませんでした。
んが見つかったのは13年8月
手術を拒み、代替療法を模索しましたが
癌が消滅することは無く14年1月に腹腔手術を
受けたのですが再発はその約5か月後でした
人間はまだまだ明日が続くと思いがちですが
でも余命宣告された川島なお美さんには
残された余命1年
夫の鎧塚さんは一緒に過ごす一つ一つのことを
大切にし明るく接するようにしました。
と語ります。
また「僕はパティシエだけど不器用なんだ」と
話をしたら私もよ」と笑ってました
生まれながらの女優ではなくずっと憧れに
向かって生き抜いてきた。
努力の人だったようです。


https://m.facebook.com/ChatNior

癌再発後は副作用を懸念して抗がん剤を一切やめ
ミュージカルの発声に悪影響が出ないよう
免疫療法などを取り入れ舞台に立ち続けましたが
5年9月の長野県での公演後に倒れ入院
此れが最後の舞台でした。
その後を鎧塚さんは9月23日には吐血し、
意識が遠のいていった。
翌日の9月24日、僕はベッドの横で
付き添っていました。
それまでも付き添ってきたのですが、
この日は手をずっと握っていました。
「きょうは徹夜だな、長い夜になるね……」
心の中でそんなことを語りかけていると、
看護師さんが走り込んできました。
「危険な状態です」って。
心拍数などを管理する計器は、
看護師の詰め所にあったようです。
厳しい状況が続く中、急に女房が手を
グッと握り締め、上体をワッと起こしました。
そして、しっかりした目で僕を見て、
ハッと息を吐きました。
僕の目を見て息を吐いた時は、
もう亡くなっていたと医師は仰っています。


https://m.facebook.com/ChatNior

お互いに相手を驚かせて喜ばせることが
大好きだったおふたりは誕生日などに
サプライズパーティーをしていたそうですが
今年は無くなった翌月が鎧塚さんの誕生日
さすがに躊躇っていいましたが川島なお美さんは
病室から友人たちに電話をかけ、誕生会の
段取りをしてくれていたのです。
頼まれた友人の連絡で誕生会は彼女の
遺志通りに開かれ女房から預かった
プレゼントを手渡されたのですが
其れは時計を贈ると別れるジンクスがあるから、
あなたには絶対渡さないと告げられていた
腕時計だったのですお別れの気持ちを込めたの
でしょうか・・
仲の良いご夫婦だったのですね。
死後に届いた夫へ川島なお美のお別れプレゼント
友人らが女房から預かったプレゼントが・・・
僕の誕生日は10月。女房が亡くなったのは
9月だったので、最後の年は、
川島なお美さんから「こんな体調だからごめんね」と
言われていました。
しかし彼女は病室から友人たちに電話をかけ、
僕の誕生会の段取りをしてくれていたのです。
知ったのは、女房の死後でした。


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川島なお美さんが2015年9月、54歳で亡くなり、
1年半が過ぎましたが亡くなる1週間前まで舞台に立ち、
胆管がんに侵されながら女優であり続けようとした
彼女を夫でパティシエの鎧塚俊彦さんは、
妻の決断を尊重し、闘病を支えました。
余命は尋ねず
14年7月、女房のがんが再発し、
余命1年と宣告されました。
余命宣告を受けたのは鎧塚俊彦だけでしたが
必死で生きようとする川島なお美さんは、
医師に尋ねようとはしませんでした。
んが見つかったのは13年8月
手術を拒み、代替療法を模索しましたが
癌が消滅することは無く14年1月に腹腔手術を
受けたのですが再発はその約5か月後でした
人間はまだまだ明日が続くと思いがちですが
でも余命宣告された川島なお美さんには
残された余命1年
夫の鎧塚さんは一緒に過ごす一つ一つのことを
大切にし明るく接するようにしました。
と語ります。
また「僕はパティシエだけど不器用なんだ」と
話をしたら私もよ」と笑ってました
生まれながらの女優ではなくずっと憧れに
向かって生き抜いてきた。
努力の人だったようです。


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癌再発後は副作用を懸念して抗がん剤を一切やめ
ミュージカルの発声に悪影響が出ないよう
免疫療法などを取り入れ舞台に立ち続けましたが
5年9月の長野県での公演後に倒れ入院
此れが最後の舞台でした。
その後を鎧塚さんは9月23日には吐血し、
意識が遠のいていった。
翌日の9月24日、僕はベッドの横で
付き添っていました。
それまでも付き添ってきたのですが、
この日は手をずっと握っていました。
「きょうは徹夜だな、長い夜になるね……」
心の中でそんなことを語りかけていると、
看護師さんが走り込んできました。
「危険な状態です」って。
心拍数などを管理する計器は、
看護師の詰め所にあったようです。
厳しい状況が続く中、急に女房が手を
グッと握り締め、上体をワッと起こしました。
そして、しっかりした目で僕を見て、
ハッと息を吐きました。
僕の目を見て息を吐いた時は、
もう亡くなっていたと医師は仰っています。


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大好きだったおふたりは誕生日などに
サプライズパーティーをしていたそうですが
今年は無くなった翌月が鎧塚さんの誕生日
さすがに躊躇っていいましたが川島なお美さんは
病室から友人たちに電話をかけ、誕生会の
段取りをしてくれていたのです。
頼まれた友人の連絡で誕生会は彼女の
遺志通りに開かれ女房から預かった
プレゼントを手渡されたのですが
其れは時計を贈ると別れるジンクスがあるから、
あなたには絶対渡さないと告げられていた
腕時計だったのですお別れの気持ちを込めたの
でしょうか・・
仲の良いご夫婦だったのですね。

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9月だったので、最後の年は、
川島なお美さんから「こんな体調だからごめんね」と
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しかし彼女は病室から友人たちに電話をかけ、
僕の誕生会の段取りをしてくれていたのです。
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1年半が過ぎましたが亡くなる1週間前まで舞台に立ち、
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妻の決断を尊重し、闘病を支えました。
余命は尋ねず
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